上記地図中央、七番町通り(東西)と六軒町通り(南北)の交差点にある「芳村石材屋」さんの前にその碑が立っています。今は、その碑と説明板しか有りませんがこの辺りは平安時代では平安宮の中心だったのですね。当時は松林の跡だそうですが、現在まったくその風情を感じることができません。
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別名【縁(怨)の松原】の由来(京都市上京区七番町)
この変わった地名は、別名「縁(怨)の松原」とも呼ばれています。『今昔物語集』等に記述によれば、仁和3年(887年)3月に松の木の下で、女性が「鬼に殺された」いう話があります。
人食い鬼の話(えんの松原)
その話とは、…深夜に3人の若い女性が歩いておりました。宴の松原より顔立ちの良い男が現れ、3人の女性の内の一人
の手を取り、松原の中で話込んでいました。途中で話声が聞こえました。
不思議に思った2人の女性が様子を見に行くと、周りは夥しい血の中に、手足だけが残されていました。そこからここには「人食い鬼」がいるとの話が広がり恐れられています。
現在は、その碑が残るだけですが、当時の平安京大内裏の中にあった「宴の松原」は、「宴の場」または、内裏の建替用地と
して用意された土地と伝えられています。
えんの松原へのアクセス
①バスを利用すると、京都駅から千本出水バス停へ行き(約28分)、降車後徒歩約2分となります。
②電車では、JR山陰線で京都駅から二条駅(7分)へ向かいます。その後、二条駅からバスに乗り千本出水で下車(5分)、その後徒歩約2分です。
関連書籍
・えんの松原1
周辺の観光スポット
このあたりは、奈良の平城京から遷都した際に最初に御所が置かれたた場所です。この辺りは当時、湿地が多かったため、その後、東側の現在の場所に御所は移りました。
平安宮遺跡跡



聚楽第跡
豊臣秀吉が建設した聚楽第はこの近くに在ったようですが、ほとんど痕跡が残らないくらいに破壊されたためその後を確認できる遺跡は残っていません。
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